糸谷哲郎八段 応援サイト

糸谷哲学

直感は経験の集積から成る分析


004.糸谷哲郎、四段昇段の記

将棋世界2007年01月号」のインタビューより

003.糸谷哲郎、18歳時点の自己分析の続きです

将棋世界2006年05月号の91ページに、糸谷哲郎の昇段の記が載っている。ちなみに横にいるのはC1に昇級したパンチパーマ時代の橋本崇載(はしもとたかのり)プロであり、過去の喜びの声の中でも三本の指に入るハッチャケっぷり。この2ページだけこの月の将棋世界の中で異様な違和感もとい存在感を示していたのだった。

四段昇段の記 「とりとめもなく」 四段 糸谷哲郎

とうとう四段だ。登山で言えば山の麓、ミステリでいえば二番目の被害者が殺されるあたりには違いないが、これで漸く将棋界では一人前扱いである(尤も人格的にはまだまだであるが)。

何より、棋譜を皆さんのお手元にお届け出来るようになったのが嬉しい。奨励会、三段リーグの棋譜は私のパソコンのメモリーを食うだけのものとなってしまい、ほとんど日の目を見ない可哀想な棋譜である。中々愛着のある棋譜もあるので、いつか公開したいところではある。

さて、少々私の回想に付き合っていただければ幸いである。

私が奨励会に入会したのは今から7年半前、平成十年九月のことである。率直に言って、間違った実力で入ってしまった。ぎりぎりの最低ラインで合格したものの、それから後二年もそこに留まることとなってしまった。同期の仲間に置いていかれ、一期後輩や二期後輩にも悠々と抜かされていった。二年後、中学受験に忙しい頃私は漸く5級に上がった。 それまで何事にも精魂込めて取り組むことが出来なかった自分が、受験に必死になったことで、将棋にも必死になれたのだと思う。そこからは順調なペースで三段まで上がっていけたと思う(相手の駒台に駒を置いて反則負けをしたこともあったが)。

そして三段リーグ。最初はあきらかに手合い違いであったが、今度は勝つために必死の努力が出来、その成果も出た。結局、人間は一つきっかけがあれば変われるということなのだろう。

最後になってしまったが、こんな私に目をかけて下さった故本多冨治先生、森信雄先生、広島将棋センターの皆様、両親、兄弟子、友人、ライバル、愛猫、応援して下さった方々、これから応援してくださる皆様に御礼申し上げたい。
(平成十八年三月十五日、シド・ヴィシャス『MY WAY』を聴きながら)

「新人王獲得!」に続く…(次回更新にて)

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