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糸谷哲学

直感は経験の集積から成る分析


001.糸谷哲郎、幼少時代を語る

将棋世界2007年01月号」のインタビューより

この時のインタビューのタイトルが「悪漢インタビュー●糸谷哲郎四段 ~神は僕の中にいる~」なのだが、正直2011年1月の現時点でみると、若い十代の子供を「イジリ過ぎ」だなあと思う。その類まれなキャラクター性・独特な棋風、そしてそれらに負けず劣らずの天才性を評価してのものだったと思うが、この頃師匠の森信雄プロが心配していたように一部を拡大して取り上げすぎているような印象を受けないといえば嘘になる。

ただしこの頃の将棋世界が読み物としての面白さを追求しようと色々な工夫を始めた頃だったようにも記憶しており、元奨の真実など、読者が面白いと感じる記事じゃなければ意味がない、という主張を感じさせたのもまた事実だった。ただしそれが身内、千駄ヶ谷村と揶揄されることもある棋界内部からどのように見られていたのかは分からない。

以下の文章は「将棋世界2007年01月号」のインタビューのうち、奨励会入りまでについて書かれたものを抜き書きしたものだが、上記のような当時の事情を踏まえて読んでいただければと思う。少なくとも私は、単に面白がってこのインタビューを引用したわけではないことをご理解頂きたい。

●将棋を覚えたきっかけを教えてください
「5歳の頃だったと思うんですけど、テレビかなんかで某棋士のニュースを見たんです。それで将棋に興味をもって、父にルールを教えてもらいました」

●お父様は将棋つよいんですか。
「駒の動かし方を知っているくらいです。ルールを教わったとき、打ち歩詰めが抜けていたくらいですから(笑)。そのうちに親が広島将棋センターを探してきてくれて、通うようになりました」

●広島将棋センターといえば、村山聖九段、山崎隆之竜王、片上大輔五段を輩出した名門道場ですね。どのくらい通っていましたか。
「奨励会に入るまではそれこそ毎日通って、ひたすら指していました」

●初段になったのはいつ頃でしょう。
「あまり覚えてないんですけど、小1か小2だと思います。小2の終わりの小学生名人戦で全国ベスト8に入ったので、そこまでには初段になっていたと思いますが」
※ちなみに、糸谷哲郎プロは奨励会に入る前、小2~4の三年連続で小学生名人戦においてベスト8という成績を残している(当サイト管理人補足)。

●糸谷さんは居飛車党ですが、子供の頃からですか。
「いえ、振り飛車党でした。奨励会に入ってから、師匠(森信雄六段)に『居飛車のほうが棋風にあっている』とアドバイスをいただいて」

●センターでは本多先生(故本多冨治棋道師範。後進の育成に熱心で、多くの棋士を輩出した)にお世話になったんですか。
そうですね。本多先生には盤上のことよりは、心構えやマナーを教わりました。駒をきれいに並べるとか」

●そんなにマスからはみ出していたんですか(笑)
「はい、整理整頓は苦手なので」

●当時、将棋の本は読んでいましたか。
「ルールを覚えてすぐに谷川先生の入門書を読みました」

●へええ、5歳で。漢字は読めたんですか。
「読めましたね。将棋センターにおいてある週刊誌を読んでいたらしいですから(笑)。2歳ぐらいでかなり漢字を読めたようです。これは父から聞いた話ですが、小さい頃、相撲と鉄道に興味があったようなんですよ。で、「原宿」と「新宿」とか、「貴乃花」と「若乃花」とか共通している文字があるでしょう。そういう文字を形で覚えて行ったようですね。ただ、流石に書くのは無理でした。90度回転させた字を書いていたりしたそうです(笑)」

●糸谷さんはかなりの読書家だそうですが、それは子供の頃から?
「そうですね。昔のことなのであまりおぼえていませんが、幼稚園のときにアガサ・クリスティーやエラリー・クイーンを読んでいました」

●それはご両親の影響ですか。
「両親もそうですけど祖母や祖父かもしれません。とにかく祖母はケタはずれの読書家なんです。本で家が潰れそうになった、という話を聞いたことがあります。祖父も大学教授なので、仕事柄、読書は相当していたでしょう」

●へええ。ところで糸谷さんはどんな子供でしたか。
「扱いづらい子供だったでしょうね。本だけの知識ですべてわかっているような感じで。授業妨害とまではいかないけど、教師を茶化したりとか」

「記録係に価値を感じない」に続く…(次回更新にて)

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